瀬尾製作所の社史
2025年で初めてのジャーナルの投稿になります。どうぞ今年もよろしくお願いします。

瀬尾製作所 初代社長 瀬尾 治七 撮影:1962年
さて、2025年は伝えられている瀬尾製作所の創業年の1935年から数えてちょうど90年となります。過去から受け継いで少しずつ情報を足している社史はホームページ上に整備しているのですが、90年の歴史の割にはあっさりしたものになっているので、これを機に社史をもう少し詳しく調べたいという気持ちになり、昔の資料や写真を掘り起こしたり、昔から勤めていた人たちへのインタビューを行ったりして、少しずつ過去の情報をひも解いています。
聞き取りや古い情報を探すのはなかなか大変な作業ですが、知らない情報がたくさん出てきて、社内にいる者としてはすごく興味深い内容ばかりです。今調べておかないと失われる情報もたくさんありそうなので、現時点でできることをやり切って調べておきたいと思っています。
現状の整備してある社史はこちらに記載してあります。
現在の社史
https://www.seo-mill.com/company/history.php
今回の社史の整理で見つけた写真をいくつかご紹介します。
1枚目の写真は瀬尾治七さんです。1935年に瀬尾製作所の代表として創業、当時は高岡の伝統産業、高岡銅器の鋳物の丸い底板をポンスと呼ばれる機械で金属板より切断する仕事から始まったそうです。写真が見つかったので、社史で公開する前にこちらにアップしておきます。
残念ながら私は治七さんに会ったことはないのですが、この写真を見るとなかなか感慨深いものがあります。写真の裏書には1962年5月2日と記載がありました。約63年前になります。

瀬尾製作所 2代目社長 瀬尾 良作
初代から2代目として瀬尾製作所を受け継いだのは、瀬尾良作さんです。プレス技術を基本的な技術として、高岡市の基幹産業となっているアルミ関係の製造業に携わったり(現在はアルミ関係の仕事は全く無し)、今も生業となっている高岡銅器関係の仕事を拡大したりと、個人創業の時代から業容を拡大させました。1981年に66歳で亡くなり、3代目の瀬尾良信さんに引き継がれていきます。
まさか本人たちはこの写真が2025年に掘り起こされてまじまじと見つめられているとは思いもよらないと思いますが、こうやって未来に掘り起こされる可能性があることを思うと、写真はしっかりと撮っておくべきですね。きちんと写真を残してくれて感謝しています。
高岡の歴史と共に歩んできた瀬尾製作所は産業の移り変わりと共に、プレス、鍛造という基本となる技術を発展させながら、少しずつ作るものを変えて今に繋げているようです。創業から100年に向けての指針にもなり得るので、ここでしっかりと情報を整理しておきたいと思います。
皆さんにお見せできるような状態にできるのは、今年のGWから夏ごろになりそうです。暫く時間がかかりますが、未来への財産としてまとめていきたいと思います。